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  • 安北大都護府のサムネイル
    貞観21年(647年)、燕然都護府を鬱督軍山に設置。鉄勒諸部が唐に帰順したため、その地を分けて13の州府を置いた。 龍朔3年(663年)2月、燕然都護府から瀚海都護府に改称。 総章2年(669年)8月、瀚海都護府から安北都護府に改称。鉄勒の回紇(ウイグル)部を領す。 開元2年(714年)、府治を鬱督軍山から受降城に遷す。…
    2キロバイト (266 語) - 2022年1月7日 (金) 13:58
  • ゴビ砂漠のサムネイル
    は「乾燥砂漠」という重複表現だが、日本では「ゴビ砂漠」で定着している。 中国においては古くは秦朝の頃から"大漠"と史書に記されている。瀚海(かんかい)とも言い、瀚海沙漠、戈壁灘、戈壁(音読み:かへき)沙漠とも表記される。 ゴビ砂漠は、雨雲がヒマラヤ山脈に遮られる為非常に乾いた風が吹き付ける。ゴビ砂…
    7キロバイト (776 語) - 2024年5月7日 (火) 08:58
  • 北庭大都護府のサムネイル
    族毎の行政管理制度が採用され、その首領には唐風の官職名が与えられ羈縻州を構成していた。 北庭大都護府の最盛期には下部に金満県・輪台県・蒲類県の3県、瀚海軍・天山軍・伊吾軍の3軍、塩泊州・塩禄州・陰山州・大漠州・金満州・輪台州・玄池州・哥系州・咽面州・金附州・西塩州・東塩州・叱勒州・迦瑟州・馮洛州・孤…
    3キロバイト (405 語) - 2022年2月17日 (木) 08:32
  • 回鶻のサムネイル
    648年)…菩薩の子、瀚海都督、左驍大将軍 烏紇…吐迷度の甥、突厥の誘いに乗って吐迷度を謀殺、唐により誅殺。 婆閏(648年 - 661年)…吐迷度の子、瀚海都督 比粟毒(661年 - 680年)…婆閏の子(甥)、瀚海都督 独解支(680年 - 695年)…比粟毒の子、瀚海都督 伏帝匐(695年 -…
    43キロバイト (6,644 語) - 2024年1月20日 (土) 09:24
  • いう説があり、これに従えばおおよそ現在の壱岐島の位置にあたると主張されている。なお日本の近代では一里=4Kmであり、中国の距離とは異なる。 また南に瀚海(かんかい)と呼ばれる一つの海を渡り、千余里を行くと一大國に至る。また長官を卑狗(ひこ)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)という。広さは約三百里四方…
    4キロバイト (737 語) - 2021年12月9日 (木) 16:10
  • (1964年) 『挑灯看剣録(狂俠天驕魔女)』(1964年) 『風雲震九州』(1965年) 『慧剣心魔』(1966年) 『俠骨丹心』(1967年) 『瀚海雄風』(1968年) 『鳴鏑風雲録』(1968年) 『游剣江湖(弾鋏歌)』(1969年) 『風雲雷電』(1970年) 『牧野流星(折戟沈沙録)』(1972年)…
    6キロバイト (863 語) - 2024年2月21日 (水) 14:39
  • 西域都護…神爵3年(紀元前59年)、烏塁城(現新疆ウイグル自治区バインゴリン・モンゴル自治州輪台県付近)に設置。 内モンゴル 瀚海都護府…永徽元年(650年)、東突厥平定後フフホト付近に設置。 雲中都護府…龍朔3年(663年)2月、瀚海都護府から改称。 単于都護府…麟徳元年(664年)、雲中都護府から改称。 外モンゴル…
    4キロバイト (745 語) - 2023年4月23日 (日) 02:01
  • Irkin:部族長の称号)は使者を派遣して唐に馬を献上した。 龍朔年間(661年 – 663年)、唐は玄闕州を更に余吾州とし、瀚海都督府に隷属させた。延載(694年)の初めにもまた来朝した。 「十驥」とは「10頭の駿馬」という意味で、骨利干が貞観年間(627年 –…
    5キロバイト (690 語) - 2022年12月24日 (土) 21:33
  • 瀚海都督。吐迷度の子。姓は薬羅葛(ヤグラカル)氏で、名は婆閏。 貞観22年(648年)、父の吐迷度が烏紇によって殺され、その烏紇も燕然副都護の元礼臣によって殺されると、前左屯衛大将軍・翊衛左郎将であった婆閏は左驍衛大将軍・大俟利発・使持節・迴紇部落諸軍事・瀚海都督となって父の後を継いだ。…
    2キロバイト (439 語) - 2020年8月27日 (木) 22:29
  • 夜襲して殺すと、回紇部の俟利発(イルテベル)位および瀚海都督位を簒奪した。これを聞いた燕然副都護の元礼臣は烏紇を新たな回紇部の俟利発および瀚海都督に認めるため、自分のもとへ来るよう烏紇を招き寄せた。しかし、これは元礼臣の策謀であり、俟利発および瀚海都督になることを認めるというのは嘘であった。そうとも…
    2キロバイト (422 語) - 2022年7月7日 (木) 00:49
  • ため、その地を分けて13の州府を置いた。 龍朔3年(663年)2月、燕然都護府を改めて瀚海都護府とする。 太宗は鉄勒諸部に6府7州を置き、府には都督を、州には刺史を置き、それぞれに長史と司馬以下の官を置いた。 瀚海都督府(迴紇部/回紇部) 燕然都督府(多覧葛部) 金微都督府(僕骨部) 幽陵都督府(抜野古部)…
    2キロバイト (386 語) - 2021年3月5日 (金) 17:27
  • 西突厥のサムネイル
    )とし、たびたび西蕃諸部を侵掠し、庭州を寇掠した。 顕慶2年(657年)、高宗は右屯衛将軍の蘇定方・燕然都護の任雅相・副都護の蕭嗣業・左驍衛大将軍・瀚海都督の迴紇婆閏らに軍を率いて討撃させ、右武衛大将軍の阿史那弥射、左屯衛大将軍の阿史那歩真に安撫大使とさせた。蘇定方が曳咥河の西まで達すると、阿史那賀…
    29キロバイト (5,159 語) - 2023年8月3日 (木) 07:49
  • 貞観21年(647年)、太宗は鉄勒諸部から13の部族を選んで13の州府を置いた。このとき回紇部は瀚海都督府とされ、吐迷度は懐化大将軍を拝命し、瀚海都督となった。時に吐迷度はすでに可汗を自称しており、外宰相6名、内宰相3名を任命し、都督・将軍・司馬の号も使って官吏を割り振っていた。…
    2キロバイト (395 語) - 2020年8月27日 (木) 22:29
  • 鉄勒のサムネイル
    の故国へ還り、牙帳(本拠地)を鬱督軍山(ウテュケン山)の北、独邏河の南に建てた。東は室韋に至り、西は金山(アルタイ山脈)に至り、南は突厥に至り、北は瀚海(バイカル湖)に臨み、古の匈奴の故地をまるまる我がものとし、20万の兵を擁し、その2人の子を立てて南北部とした。ここにおいてモンゴル高原の所有権は鉄…
    19キロバイト (3,872 語) - 2023年6月18日 (日) 04:10
  • 比粟毒(呉音:びそくどく、漢音:ひしょくとく、拼音:Bǐsùdú、生没年不詳)は、回紇部の俟利発(イルテベル:部族長)で瀚海都督。婆閏の甥。姓は薬羅葛(ヤグラカル)氏で、名は比粟毒。『新唐書』では比栗(Bǐlì)と表記。 龍朔中(661年 - 663年)、婆閏が死ぬと、甥の比粟毒は回紇部を率いて同羅…
    2キロバイト (238 語) - 2019年7月11日 (木) 09:00
  • 可汗を赦し、彼を左武衛将軍に拝して長安に住まわせ、その余衆を鬱督軍山(ウテュケン山)に住まわせて狼山都督にこれを統領させた。唐はこの後、単于都護府・瀚海都護府を設置した。 沙鉢羅特勤 陟苾特勤 羯漫陀 ^ 特勤(テギン、Tägin)とは、突厥や回鶻における皇太子もしくは王子に与えられる称号。 ^…
    4キロバイト (790 語) - 2021年11月11日 (木) 02:48
  • ウテュケン山)に移住させて渾河州とし、渾河州刺史に統領させ、歌邏禄(カルルク)の右廂を狼山都督府とし、狼山都督に統領させた。唐はこの後、単于都護府と瀚海都護府を設置した。 こうして歌邏禄(カルルク)の部衆はモンゴル高原の鬱督軍(ウテュケン)山に移住したが、アルタイ山脈の西に残った歌邏禄(カルルク)も…
    16キロバイト (2,360 語) - 2023年11月2日 (木) 13:47
  • つことを請うと、その牙帳を破り、千余級を斬首した。 顕慶2年(657年)、高宗は右屯衛将軍の蘇定方・燕然都護の任雅相・副都護の蕭嗣業・左驍衛大将軍・瀚海都督の迴紇婆閏らに軍を率いて討撃させ、右武衛大将軍の阿史那弥射・左屯衛大将軍の阿史那歩真に安撫大使とさせた。蘇定方が曳咥河の西まで達すると、阿史那賀…
    6キロバイト (1,250 語) - 2022年11月20日 (日) 13:16
  • 県君蕭氏・衡方厚妻武昌県君程氏・女道士李玄真・孝女王和子 列伝第一百四十四上 突厥上 - 始畢可汗・処羅可汗・頡利可汗・突利可汗・思摩・車鼻・単于 瀚海二都護府・骨咄禄・默啜・毗伽可汗・登利 列伝第一百四十四下 突厥下 - 処羅可汗・射匱可汗・統葉護可汗・莫賀咄侯屈利俟毗可汗・咄陸可汗泥孰・沙鉢羅・…
    31キロバイト (5,111 語) - 2024年6月3日 (月) 06:39
  • おいて功績をあげ、節度使に任じられたが、吐蕃との戦いで敗北し、解任された。 高力士と結んで取り立てられる。北庭都護に任じられ、開元年間に北庭都護府に瀚海軍を創設した。 開元24年(736年)、突騎施(テュルギシュ、西突厥の主流となっていた部族)を破る。磧西節度使に任じられ、開元25年(737年)には…
    3キロバイト (615 語) - 2022年2月17日 (木) 09:09
  •  始度一海千餘里 至對馬國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險 多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴   又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴 
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