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  • した。諸葛瑾・楊粲が手勢を合わせて救援に駆けつけたが、なすすべを知らなかった。大量の魏軍は毎日、続々と中洲へと渡った。潘璋は「魏の軍勢は始め盛んで、江水もまだ浅く、まだ戦うべきではありませぬ」と言いた。潘璋は軍力を温存すると、魏軍の攻勢を避けていた。手勢を率いて魏軍より五十里ほど上流へ行き、水城を築…
    10キロバイト (1,952 語) - 2024年3月27日 (水) 12:40
  • だと挙って反対したが、孫権は徐盛の偽城策を受け入れた。魏軍は広陵に到ると、呉軍と川を隔てて対峙した。曹丕は百里偽城を望見して愕然とし、魏軍は驚いた。江水も盛長となり、曹丕は「魏に千の武騎があっても使い道がないな。彼(孫権)には未だ人材が多く、攻め取るのは難しい」と感嘆した。大波による敵の船団を転覆さ…
    13キロバイト (2,519 語) - 2024年3月27日 (水) 12:39
  • た」という。『続漢書』郡国志には南郡(の節)に「枝江は、侯国であり、もとの羅国である」とあるが、長沙郡(の節)にも「羅」(の記述)がある。『水経注』江水は「枝江は、もとの羅国であり、おそらく羅は移転したのであろう。羅の故居は宜城西山にあり、楚の文王がまたこれを長沙に移したものである。今の羅県がこれで…
    9キロバイト (1,249 語) - 2024年5月11日 (土) 17:04