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  • 全北 105 錦山七百義塚 忠南 106 求礼石柱関七義士墓 全南 107 康津丁若鏞遺跡 慶南 108 山清木綿始培遺址 慶南 109 牙山孟氏杏壇 忠南 110 城底五里定界石標 ソウル 111 金堤碧骨堤 全北 112 牙山李忠武公墓 忠南 113 統営閑山島李忠武公遺跡 慶南 114 莞島廟堂島李忠武公遺跡…
    36キロバイト (108 語) - 2024年2月3日 (土) 18:45
  •  其二は大田南畝である。南畝は文化七年に幕府の職を辞して、閑散の身となつてゐた。茶山の此冬の作に、「蜀山人移家于学宮対岸、扁曰緇林、命余詩之」とした七絶がある。「杏壇相対是緇林。吏隠風流寓旨深。毎唱一歌人競賞。有誰聴取濯纓心。」学宮対岸の家は即ち駿河台紅梅坂(こうばいざか)大田姫稲荷前の家であらう。南畝は小石川小日向金剛寺坂から此に移つたのであらう。