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  • 指す対象が狭められるようになっていた。これに対応して、フルン四部を除く旧海西衛分の女直を指す語として「野人女直」が形成されたと考えられる。 また、李氏朝鮮では建州女直以外の女直を良哈(ワルカ)・狄哈(udige[要出典]、ウディゲ)の2つに分け、さらにウディゲをフルン=ウディゲ(hulun…
    13キロバイト (2,038 語) - 2023年11月30日 (木) 01:43
  • 遼宋の頃には「惹」「烏舎」「屋惹」「嗢熱」、元代には「吾」、明代には「兀者」として記録されており、いずれも「森林」を意味するトゥングース語Wejiが原音であると見られる。一方、金代では同一の集団を「的改」「烏底改」と記し、明代の史料でも「
    8キロバイト (1,306 語) - 2022年3月1日 (火) 18:33
  • ウリャンカイ (良哈からのリダイレクト)
    李氏朝鮮では北方に居住する異民族の一部を、明朝における「ウリャンカイ」の音写と同じ漢字で表記し、「良哈(オランカイ)」と称していた。しかし、これはモンゴルのウリャンカイ部とは無関係な女直の一派で、明朝からは野人女直、清朝からは東海三部と称された集団の一つ、ワルカ部に相当する集団である。…
    13キロバイト (1,927 語) - 2024年4月5日 (金) 20:06
  • ウデヘのサムネイル
    遼代以後、アムール川上流にはウェジ(weji)と呼ばれる集団が存在したことが記録されている。ウェジはまた「的改(ウディゲ)」とも表記されており、この「的改」がウデヘの語源であると考えられている。ウディゲは明朝からは「野人女直」として分類されていたが、「野人」の女真語訳/モンゴル語訳もまた、Udi-gen/Üdigänであった。…
    30キロバイト (4,042 語) - 2023年10月8日 (日) 12:47
  • 『明宣宗実録』宣徳二年八月五日(庚申)「遼東都司都指揮同知康旺・考郎等衛指揮僉事克徹・屯河等衛指揮僉事不顔禿・遼東東寧衛指揮金声等来朝、進馬及方物」 ^ 『明宣宗実録』宣徳二年八月二十一日(丙子)「命奴児干等処来朝野人女直頭目為可令河衛指揮僉事、儹卜為弗提衛指揮僉事、倶襲父職。斡冬哈僧住可・…
    22キロバイト (4,214 語) - 2023年5月7日 (日) 11:28
  • 野人あるいは北胡と呼んではなはだ恐れていた。そこで加藤清正は、女真を討伐して威を示そうとした。すると従軍を願う朝鮮人が極めて多かった。そして8月、服属した会寧の朝鮮人3000人を先鋒とし、日本人8000人の陣容を整え、ついに豆満江を渡り満州オランカイ(良哈)の地へ攻め入った。…
    5キロバイト (935 語) - 2024年1月27日 (土) 18:00
  • モンゴルの樺太侵攻のサムネイル
    となったが、同年の冬に征東招討司による骨嵬征伐が20年ぶりに実行に移されている。 その翌年(1285年)にも元朝は征東招討司塔塔児帯(タタルタイ)・魯帯(ウロタイ)に命じて兵力1万人で骨嵬(アイヌ)を攻撃させた。 さらにその翌年(1286年)にも3年続けてアイヌ攻撃が行われた。このときの侵攻では…
    22キロバイト (3,558 語) - 2024年4月23日 (火) 08:59
  • 阿端衛のサムネイル
    有差。先是、阿端地面酋長亦的力思・馬哈麻等来貢方物、為西番野人罕東頭目可児即等所掠、困即来奉命率衆追回遣克満丁護送来京。上嘉之故有是命」 ^ 『明英宗実録』正統二年七月壬辰「哈密忠義王脱歓帖木児遣使宰奴丁、撒馬児罕頭目遣使馬黒木・禿敏禿、魯伯曲列干男米列遣使格来敏哈禿、哈失哈力頭目遣使鎖魯檀米列…
    12キロバイト (2,584 語) - 2022年11月17日 (木) 08:50
  • ウリャンカイ(ウリヤンハイ) ハラチン ホルチン チャハル ハルハ 元朝 明朝 建州女直(マンジュ) 海西女直(フルン) 野人女直(ウディゲ) ウェジ 李氏朝鮮 ^ a b c 岡田 2000,80頁 ^ 『明史』「良哈伝」、『珠域周咨録』、『四夷館考』 ^ 『四夷考』、『三衛志』 ^ 青木 1973,92頁 ^ 吉田1998…
    18キロバイト (3,247 語) - 2023年10月16日 (月) 14:29
  • ツングース系民族のサムネイル
    南ツングース系の満洲族は定住農耕生活を送り、その生活様式は、移動する狩猟採集民や遊牧民など、より北方に住むツングース諸族の生活様式とは大きな隔たりがあった。ことにワルカ(野人女真)は、清朝が彼らをして定住農耕させようと試みたため清国を離れている。 17世紀を通じてロシア・ツァーリ国は、シベリアを東に横断して拡大し、ツング…
    48キロバイト (5,488 語) - 2023年12月19日 (火) 16:36
  • (普通話拼音ではどちらも「tóng」)。 元末には斡多里オドリ万戸府の万戸トゥメンを務め、管鷹事を兼務した。後に元朝から派遣される形で兀者ウェジ(野人女直) の鎮圧にあたったが、これが後にオドリとウェジとの間の敵対関係を生じさせた。 父・范察 母・喬芳 妻・也吾巨:僉伊 (官名)・甫哥の娘。奚関城…
    5キロバイト (642 語) - 2024年4月25日 (木) 08:41
  • 清の初代皇帝。<1559年2月21日 - 1626年9月30日> ヌルハチが生まれた頃、女真族(ジュルチン、オランカイ(良哈))は建州女真5部・海西女真4部・野人女真4部に分かれ、互いに激しく抗争していた。1593年、建州女真を率いて海西女真とのグレの戦いを制す。1603年、赫図阿拉(ヘト…
    32キロバイト (5,014 語) - 2024年3月18日 (月) 20:16
  • 惹(こつじゃく)は、10世紀後半に存在した渤海遺民により建国された王朝である。 惹は、契丹より渤海が滅亡した後、渤海人貴族が契丹の支配に抵抗して建国された。表記は「惹」「烏舎」「烏舎城渤海」「烏惹」「嗢熱」等であり、「惹=烏舎=烏惹=嗢熱」と発音の類似が認められ「weji(ウェジ)」(満洲…
    3キロバイト (504 語) - 2023年2月25日 (土) 14:42
  • に起た朝鮮内の混乱の為に移動を余儀なくされる。野人女直の一種であるウディゲ (狄哈:ウェジ) の一派が慶源 (朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道慶源郡) を襲撃し、迎撃した指揮官が陣没すると、李朝は吉州 (同吉州郡) の趙涓に反撃を命じたが、しかし趙はウディゲを放置し、同じく野人女直系ワルカ (良哈)…
    18キロバイト (3,032 語) - 2023年11月26日 (日) 15:16
  • 烏羅護部落…和解部の東。 那礼部落…和解部の東。 烏丸国…烏羅護の東北二百余里。烏桓族の子孫。 大室韋部落…烏丸国の北の大山の北。 蒙室韋(蒙瓦部落)…のちのモンゴル部。 落坦室韋…蒙室韋の北。 東室韋部落…烏丸国の東南三百里。おそらく烏桓族の子孫。 史書の『隋書』『北史』では鮮卑宇文部の末裔として書かれ…
    17キロバイト (2,957 語) - 2022年6月9日 (木) 13:46
  • @1^1410461027^809^^^0211001008035^@@240753705#top. "○女直野人頭目呵哈出等來朝設建州衞軍民指揮使司以阿哈出爲指揮使餘爲千百戶所鎭撫賜誥印冠帶襲衣及鈔幣有差"  ^ 洪武年間に後の兀者衛の領袖・西陽哈が明朝に帰順しているが、衛の設置自体は永楽元年旧暦12月で、建州衛の一箇月後。…
    22キロバイト (3,462 語) - 2024年4月25日 (木) 08:37
  • 義経=ジンギスカン説のサムネイル
    野人女直の3つに大別されたが、清朝初代皇帝奴児哈赤(ヌルハチ)は、建州女直の奴児干(ヌルカン)から出て各地域を併合して満州と号した。奴児干は上記越前神保の漂流民が義経似の絵札を目撃した地である。また、『清実録』によれば、清朝の祖は、姓は愛新覚羅、名を布庫里雍順とする
    209キロバイト (33,814 語) - 2024年5月27日 (月) 08:45
  • 元 (王朝)のサムネイル
    児」と音写され、「回回語」が実際にはペルシア語のことを指していたように、具体的にはマー・ワラー・アンナフルやホラーサーンなど広く西方のイラン系の人々に由来する事物を指した。元は南宋の拠点であった襄陽の攻略にあたり、イラン出身の技術を招聘し、投擲距離が数百メートルに達する可動式の「マンジャニーク(…
    94キロバイト (15,794 語) - 2024年5月12日 (日) 06:20
  • で、いわば遁世僧の地位の向上のために僧正になったのだ」と弁護している。松尾(1995)p.33 ^ 建長寺2世の庵普寧(1197年-1276年)も宋からの渡来僧であるが、時頼死後は支持を失って帰国した。鎌倉事典(1992) ^ 室町幕府の将軍足利義満もまた、臨済宗を保護し、宋の官寺の制にならい「五山・十刹の制」を設けた。…
    120キロバイト (19,022 語) - 2024年5月29日 (水) 23:29
  • 野人や韃靼の騒擾をうけて永楽21年 (1424, 李朝世宗6) 旧暦4月、鴨緑江支流の一つ婆猪江 (佟佳江とも、現渾江) の多回坪などへの移住を勅許され、指揮・沈時里哈、沈羅老、盛舍歹、童所老ら1,000余戸を率いて、婆猪江 (現渾江) 江畔にある喇山城 (現遼寧省本渓市桓仁満族自治県桓仁鎮五女山城南麓)…
    33キロバイト (5,477 語) - 2023年11月26日 (日) 05:11
  • 永楽元年。遣行人那枢招諭奴児干諸部野人酋長来朝。因悉境附。九年春。遣中使治巨艦。勒水軍江上。召集諸会長。縻以官賞。於是康旺、佟答剌哈、王肇州、瑣勝哥四会率衆降。始設奴児干都司。自開原東北至松花江以西。先後置建州、毛憐、塔山等衛一百八十四。兀者等所二十。官其曽為都督、都指揮、指揮千百戸、鎮
  • (こつじゃ) 足が不自由な人。 足切りの刑を受けた人。 (wūzhě) 足に障害がある人。 (歴史)女真族のうち、東部海岸部に居住していた部族の総称。野人女直。
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