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  • 中院家のサムネイル
    村上源氏嫡流久我家4代の内大臣源通親の五男通方が鎌倉時代初期に久我家から分家して中院と称したのに始まる。「中院」の家名は、久我家2代の雅定が中院町(六条室町)に住んで中院右大臣と称していたことに拠る。通方の子通成が内大臣となったことで中院家は内大臣を極官とする大臣家の家格を確立した。後世には旧家、内々の家格も得る。…
    19キロバイト (1,866 語) - 2024年5月17日 (金) 01:22
  • 西園寺家のサムネイル
    算出した幕末期の西園寺家領は以下の通り。(5・597石1斗4升) 山城国葛野郡西院領のうち - 22石1斗4升 山城国乙訓郡今里村のうち - 104石 山城国乙訓郡大原野村のうち - 200石 山城国紀伊郡吉祥院村のうち - 1石 山城国紀伊郡東九条のうち - 270石…
    32キロバイト (2,297 語) - 2024年3月29日 (金) 02:01
  • 久我家のサムネイル
    家紋は五つ竜胆車。庶流に土御門家、堀川家、中院家、六条家、久世家、東久世家、梅溪家、岩倉家などがある。庶流からさらに分かれた庶流に北畠家(中院家庶流。明治に再興された北畠家は久我家の直接の分家)、愛宕家(中院家庶流)、千種家(岩倉家庶流)、植松家(岩倉家庶流)などがある。…
    28キロバイト (3,547 語) - 2024年6月2日 (日) 17:38
  • 中院通躬のサムネイル
    中院 通躬(なかのいん みちみ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・歌人。内大臣・中院通茂の長男。官位は従一位・右大臣。中院家18代当主。 寛文8年(1668年)、中院通茂(権大納言、のち内大臣)の長男として誕生。母は板倉重矩の養女(小笠原政信の娘)。翌年叙爵、延宝元年(1673年)従五位上に進…
    7キロバイト (737 語) - 2024年4月14日 (日) 14:49
  • 添上郡のサムネイル
    添上郡 (カテゴリ 山添の歴史)
    中畑村、米谷村、興隆寺村、南椿尾、北椿尾、高樋、虚空蔵、菩提山村 帯解 ← 窪ノ庄村、池田、柴屋、山村、田中、今市村 明治 ← 北永井、北之庄、南永井、神殿、出屋敷 東市村 ← 古市、藤原、鹿野園、鉢伏、白毫寺、横井、八島村 田原 ← 茗荷、此瀬、杣ノ川、長谷、日笠、中之庄
    23キロバイト (2,245 語) - 2024年3月13日 (水) 03:18
  • 千種家のサムネイル
    梅渓通条の末子。 ^ 中院通知の子。 ^ 明治19年(1886年)廃嫡。 村上源氏久我流六条庶流。六条有忠の子忠顕を家祖とする。北勢四十八家の首班千種氏はこの末裔と伝えられるが、系譜は定かでない。 千種家(別系) 実線は実子、点線(縦)は養子。 ^ 中院光興の子。 ^ 中院光顕の子。 [脚注の使い方]…
    11キロバイト (1,050 語) - 2023年11月14日 (火) 10:51
  • ベース』によれば幕末期の土御門家領は山城国葛野郡西院領のうち10石、山城国葛野郡梅小路のうち86石、山城国乙訓郡鶏冠井のうち50石、山城国乙訓郡寺戸のうち20石、山城国紀伊郡吉祥院村のうち17石6斗で合計5183石6斗となっている。家司に若杉家、星合家、並河家、吉田家、壱岐家など。…
    21キロバイト (1,889 語) - 2024年5月2日 (木) 00:54
  • であったとされている。やがて、戦国時代を終息させた徳川家康が征夷大将軍の宣を受けた際に源氏長者と淳和院・奨学院別当を兼務すると、それ以後は両院の別当職が江戸幕府の歴代将軍に引き継がれることになった。 一帯には、明治に西院村が設置されたが、昭和初期に京都市右京区に編入され、西院の名は町名や駅名(西…
    5キロバイト (843 語) - 2024年2月8日 (木) 05:08
  • 京都市右京区の町名のサムネイル
    京都市右京区の町名 (梅ケ畑からのリダイレクト)
    ・西院村・太秦・梅津・花園・梅ケ畑・松尾・桂村・川岡村の旧1町9の地域をもって右京区が新設された。この時の区の領域は、現・右京区のうち旧・京北町域を除いた地域と、現・西京区の北部に相当する。 昭和51年(1976年)に桂川右岸の地域(旧松尾
    30キロバイト (2,753 語) - 2024年1月28日 (日) 16:13
  • 源通親のサムネイル
    通親の子供達―通具・通光(嫡子)・定通・通方はそれぞれ堀川家・久我家・土御門家・中院家の四家に分かれ、堀川家と土御門家は断絶したが、久我家と中院家は明治維新にいたるまで家名を存続させ華族に列せられた。なお、北畠家は中院家の、岩倉家は久我家の庶流である。 最も歴史に名を残したのは、通親と藤原伊子との…
    22キロバイト (3,602 語) - 2023年4月21日 (金) 03:00
  • 板倉重矩のサムネイル
    内小路局を女御同様の扱いにしようと画策し、彼女が産んだ皇子を後継者にしようと目論んでいたとされ、霊元天皇は実教を排斥しようと小倉実起を通じて中院通茂に密命をした。重矩は通茂と共に天皇を諫言して実教排斥を断念させたが、将軍家綱から厚い信任を受けている実教を排斥することの困難さと、産まれる子の性別を…
    24キロバイト (4,110 語) - 2023年10月9日 (月) 12:10
  • 後嵯峨天皇のサムネイル
    とになる。聖武天皇も同様に計算の誤りで1日命日が異なっていたという。 承久の乱の前年の誕生であり、土御門上皇が土佐に流された後は、母方の大叔父である中院通方・土御門定通の許で育った。だが、土御門家一門の没落に伴って苦しい生活を送り、20歳を過ぎても出家も元服もままならないという中途半端な状態に置かれていた。…
    15キロバイト (2,036 語) - 2024年5月9日 (木) 01:32
  • 三条西家のサムネイル
    のうち50石7斗、山城国葛野郡上桂村のうち200石、山城国葛野郡松尾谷村のうち25石2升4合、山城国葛野郡松室のうち21石6斗、山城国葛野郡上山田のうち 3石4斗、山城国乙訓郡寺戸のうち200石、山城国紀伊郡吉祥院村のうち1石5斗6升であり、合計7・502石2斗8升4合。…
    19キロバイト (2,260 語) - 2023年5月21日 (日) 04:11
  • 北畠顕能のサムネイル
    中院貞平の子で、親房の養子になったともいう。建武政権期に父兄とともに伊勢国へ下り、同国司に任じられた後、多気を拠点に退勢著しい南朝軍事力の支柱として武家方に対抗した。伊勢北畠氏の祖。 伊勢国司の由来については確実な史料がないが、延元元年/建武3年(1336年)10月親房・顕信に従って伊勢へ
    18キロバイト (2,478 語) - 2022年8月13日 (土) 14:02
  • 北畠家のサムネイル
    もとは村上源氏中院家庶流で南北朝時代に南朝の忠臣として重きをなし、伊勢国に進出して南北朝合一後も国司として勢力を保ち、公家大名、戦国大名として戦国時代末まで命脈を保ったが、1576年(天正4年)に織田信長に滅ぼされた。明治維新後久我侯爵家の分家として再興され、華族の男爵に叙されている。 中院
    36キロバイト (4,217 語) - 2024年2月6日 (火) 14:28
  • 七里河区のサムネイル
    西站街道 8社区:建西東路、西津西路東、小西坪、西站東路、西站西路、三角銭、武威路、機車廠 晏家坪街道 5社区:晏家坪中院、晏家坪北院、晏家坪南院、晏家坪鉄路院、機車廠四区 龔家湾街道 6社区:龔家坪西路、龔家坪東路、民楽路、電機廠、武山路、龔家湾 土門墩街道…
    5キロバイト (596 語) - 2022年4月6日 (水) 03:52
  • 内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退した。現在、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時…
    26キロバイト (3,726 語) - 2024年5月31日 (金) 16:27
  • 鍋島宗教のサムネイル
    父:鍋島宗茂(1687-1755) 母:貞姫 - 貞樹院、久世通夏の娘 正室:綱姫 - 中院通躬の娘 婚約者:亀姫 - 瑤台院、池田吉泰娘 生母不詳の子女 女子:伊達俊室 養子 男子:鍋島重茂(1733-1770) - 鍋島宗茂の七男 女子:松子 - 静明院、鍋島直員正室、五条為範娘…
    3キロバイト (341 語) - 2021年3月16日 (火) 22:48
  • 冷泉為村のサムネイル
    点の添削を受けた折紙詠草(和歌懐紙)が存在する。烏丸光栄や三条西公福・中院通躬にも師事し、石野広通・小沢蘆庵・屋代弘賢など、多数の門人を擁した。父為久が徳川吉宗の厚遇を得ていた関係から、武家に多くの門人がいた。 歌集に『冷泉為卿家集』『冷泉余瀝』、歌論書に『樵夫問答(しょうふもんどう)』、聞書に宮部義正の『義正聞書』がある。…
    4キロバイト (434 語) - 2023年5月20日 (土) 08:35
  • 百人一首のサムネイル
    の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生の求めに応じて、定家が作成した色紙であり、蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘(中院山荘)の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼したものとされる。天智天皇から藤原家隆、藤原(飛鳥井)雅経に至る歌人の歌を色紙に書いて送ったことが定家…
    80キロバイト (7,254 語) - 2024年5月27日 (月) 07:33
  • 中院右衛門督顕能、三千余騎にて鳥羽より推寄て、東寺の南、羅城門の東西にして、旗の手を解、千種少将顕経五百余騎にて、丹波路唐櫃越より押寄て、西の七条に火を上る。和田・楠・三輪・越知・真木・神宮寺、其勢都合五千余騎、宵より桂川を打渡て、まだ篠目の明ぬ間に、七条大宮の南北七八町に
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